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江戸時代の石高制度に学ぶ、 市民農園を収益化する発想 |
written in 2008/6/16
江戸時代の大名は自分が治めていた国(藩)の力を「石高(こくだか)」で表していた。1石とは米1000合分(俵で2.5個分=150Kg)のことで、当時は一人が一日に3合の米を食べていたから、一人を一年間食べさせられるだけの経済力が1石に相当していた。そのため“10万石の大名”といえば、俵で25万個の米が収穫できるだけの領地を統治していたことになる。現在ならこれは人口が10万〜30万人の都市に相当する規模だ。
大名に仕える武士の給料にしても、米による現物支給というのが基本で「藩で何石高の職に就いているのか」が年収に相当していた。そのため彼らの年収を現在の経済価値に置き換えるには「石高×米の単価」によって測るのが妥当だろう。映画に登場する「30石の下級武士」というと、米俵で75個分(俵1個は60Kg)を収入として得ていたことになるため、米の単価を今よりやや高めの1キロあたり千円で計算すると、450万円ということになる。現在の平均的なサラリーマンと同水準といったところだろうか。
また武士の中でも、馬に乗れるのは150石〜200石以上の者に限られていたが、現在ならそれに該当するのは年収2千万〜3千万円の会社経営者や大企業の役員クラスにあたる人達だ。そうしてみると当時の“馬”は、いまの高級外車に相当する乗り物だったといえる。いずれにしても昔の経済価値は、人間が生きていくことの基本になる“食い扶持”によって測られていた。
なぜそんなことを考えるのかというと、その発想が今後のエコビジネスに通じてくるためだ。我々が毎日食べているご飯は、もちろん今でも大地から収穫されて食卓まで届いているわけだが、自分が一年間で食べる米を作るのには、どれくらいの土地が必要なのか考えたことがあるだろうか?日本人が食べる米の量は昔よりも少なくなったが、農水省の統計によると、それでも一人当たりが一ヶ月で約5Kg、一年間では60Kgを食べている。4人家族ならおよそ 240Kgということだ。我が家ではそんなに米を買っていないと思うかもしれないが、この消費量には、レストランで食べる食事や、コンビニで買う弁当やおにぎりも含まれている。
一方、水田から米が収穫できる量は10a(アール)あたりで8俵前後と言われている。4人家族なら年間で約4俵の米を消費するため、およそ5a(約150坪)の水田が必要になる。つまり平均的なマイホームの敷地より2倍以上広い土地を使わないと、一家に必要な米を作ることはできないのである。さらに米が順調に育つには、土壌や天候に恵まれなくてはいけないし、稲の手入れにも相当な労力を使わないと、秋に美味しい米を収穫することはできないだろう。
都会の生活では、「食品はスーパーで買うもの」という感覚に慣れてしまい、米や野菜もまるで工業製品のように、どこかの工場で作られているかのような錯覚に陥ってしまっているが、近頃の食品の安全性に対する不信や環境問題等によって、食と自然との関係を改めて大切にしたいという消費者の意識が高まっている。そうかといって、現代人が都会暮らしをやめて自給自足の生活をするというのには無理がある。そこで浮上しているものの一つに、都会と田舎(農村)との接点を深めることを目的とした食農体験型のビジネスだ。これはアグリ・ルーラルビジネスとも言われている分野だが、そのビジネスモデルを理解するには、ちょっとした頭の柔軟体操が必要だ。
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JNEWS LETTER 2008.6.16
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